「清太郎さんの森」には、約束事がある。
転んでも、滑っても、泥んこになっても泣かないで、立ち上がる。おんぶや抱っこは、しない。「危ない」「やめなさい」は禁句─。
森では自己責任が原則。大人は子どもを見守り、不安を共有して声を掛け合う。子どもは自分の力で斜面を這い上がり、丸太の橋を渡り、安全柵などない沼をのぞき込み、助け合いながら進む。遊具はないが、全てが遊び場だ。見つけた木の実をそっとポケットにしまい込む子どももいる。「どうするの?」と聞けば、「お母さんにおみやげ」と笑いながら。
「人間が森をつくるなんて恐れ多い。人間は、森で遊ばせてもらう。子どもたちが滑って遊んで自然にできた斜面だから、楽しめる。子どもが楽しんでいる森は、森も喜んでいるんです。子どもが来てくれれば、森も生きる」
人間の健康と共に森の健康を考え、人と森を結び付けようと県内の医師らと「秋田森の会」を結成して20年余り。森の力で子ども本来の力を呼び起こそうと始めた「森の保育園」には、今では県内22カ所から園児が訪れ、年間80日ほどは子どもの声が響き渡る。
原点は91年9月に列島を縦断した台風19号。祖父の代から育ててきた杉の木々がなぎ倒され、森は一夜にして変わり果てた。以後、林業から森林経営に考えを改め、人間から森を見るのではなく森から人間を見て問い掛ける。植え付ける杉の本数を減らして広葉樹を植え、3本をひとつとする三角巣植えによって雪や風に強い木の力を引き出していった。針葉樹と広葉樹が重なり合う森に鳥たちが種をまいて木を育て、落葉は肥料となる。そこに生き物が住み、さらに森を豊かにする。森を歩けば、足下にはふわふわとした弾力が。「これが杉と広葉樹とのいい関係。生態系を崩さずに、自然に任せながら呼び起こされた森の力」と語る。
「木は自分の力では移動できない。芽が出て根が伸びれば、その場所にずっといる。私も同じだ。ここに生まれて、ここで生きているだけ。人はね、みんな森に育てられてきたんです。森と共に生きることの大切さを考えれば、森で遊び学ぶことが、私にできる森への恩返し。だれでも森で遊んで、疲れてパタンとできれば、一番幸せ」
冬から春へと巡る季節の中、子どもたちといっしょに森を、今日も歩く。
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